ずっと描いていた絵を描いているときに逆さにして忘れてて、改めて対峙した時に見る感覚、或いは久しぶりに描くときに見る感覚。新鮮であったり、今までのそれとは違く生き生きと見えたりする。
その感覚を大切にと恩師にも大学の教授からもよく聞いていた。その感覚はわかるがなぜ大切なのかそのときはわからなかった。今の今までも。
「抽象の力」(岡崎乾二郎著)最近再読していて改めて読んでいたのにわかっていなかったんだ!と驚愕。
人は物を見るとき、あらゆる感覚気管で情報を知覚していく。そしてその刺激をまとめていけば自分が見て概念として理解している一つのものに統合されるはずだと普通は考える。
それが知覚情報が集まるほど分散されていくという見方もあるらしい。純粋に目の中に刺激を放り込んでいる状態とは要素の羅列に過ぎない。
人間は知覚とは別の次元の原理で概念として統括しているのではないかということだ。
セザンヌもブラックもその他後期印象派の人たち、熊谷守一も夏目漱石もベルクソンもそこの乖離に目を向けていた。
物凄く物凄く繊細で気を抜いたら見落としてしまうような部分の事を、実感と熱意を持って考察していた先輩たちには本当に頭が上がりませんと思う今日この頃っす。