わたしがは、いつも明るく、努めて前向きに人生を送っている方の人間ですが、 こと皮膚になると私は生身の自分に真剣に向き合わざるを得なくなり、ただただ嫌悪する負の人間になる。そこには笑いの要素は一つもない。

そして皮膚というものを考えだすと真摯に向かい合う人間になる。(皮膚に)
というのも、私は幼少の頃からアトピー性皮膚炎でみんなと少し違う自分の肌にかなりのコンプレクスをもっていた。その頃通院していた皮膚科でレベルが強めのステロイド剤を処方されており、たちまち良くなる魔法のようなステロイドとして、全幅の信頼を寄せ使用していましたが、気がついた頃には顔の皮膚が薄く、毛細血管が拡張し、赤ら顔になっており、まんまとステロイドの副作用なるものにやられていたのです。ただ、ステロイドを使っていたおかげで掻き崩す事はなく、パッと見、アトピーであるとは周りに気づかれる事なく酷くなる手前で押さえることが出来た点では、ステロイドは表彰もの。

アトピーが少し収まってきた矢先、私は自分の腕のはらのところに一つ二つ、突起物ができているのを発見した。あれは小3の5月頃のひと遊びするとじんわりと汗がでる季節だった。
汗をかく。
関節の裏に汗をかく。
蒸れる。
ふやける。かゆいかゆい。
かゆい。

かいちゃった。
また汗をかく。かゆい。核。
そのくりかえしです。そんな日々の繰り返しを黙って見過ごし、その日もまたいつものごとく腕を掻く。そのとき、とある引っかかりに気づく。でも勢いでかいてしまった。

突起物があったことを思い出す。、がそのときにはもう遅い。突起物はとれて真っ赤な鮮血が滲み出ていた。私は自分の腕をじっとみつめ、固まった。血が出た。それをみて固まったのではない。そんな事は掻いた瞬間の自分の力加減でにわかっていたことだ。そんな事ではないのだ。私の目は潰れた溝から吹き出す血のその隣、またその下、そのまた左上また右隣___と限りなくで自分の腕に蜂の巣状にびっしりと巣食うおびただしい数の突起物をとらえたのです。

気持ちが悪い。

すさまじい不快感におそわれる。キ持ちバルイ   
でもめがはなせない!!気持ち悪いものはいやだ!でも、みたい! そのときの全身の毛穴から回虫がはいずってくるようなあの感じとゆうものは今でもはっきりと思い出せます。突起物なのだが、あまりにも密集し、あまりにも量が多かったので。触った感じでは平にかんじる。だからしばらく気がつかなかった!しかしよくみるとその実態は突起物の集積であり、決して皮膚ではない。

 翌週から土曜日になると父が皮膚科に連れて行ってくれるようになりました。  皮膚科での診断は水いぼ。  
ドライアイスで表面を焼き、内服薬としてはと麦など肌によさそうなものが凝縮された錠剤を一回20粒ほど飲む。
とゆう治療方法で進められた。 
錠剤20粒は面倒だったが我慢できた。ぎゃふん といったのはドライアイスだった。まるで根性焼きだった。 

腕のヒフの柔らかいところをドライアイスでじんわりと水いぼ一つ一つを焦がしてゆきます。

これはもういじめじゃないですか。

一日経つと焦がしたところは黒くなり、やがて薄い皮膚がはがれる。
その間、腕はとても汚くお見せできないのでガーゼで隠すか関節を常に少し曲げて陰にみせるとゆう習慣がついた。
なのでいつもちょっと腕の関節が曲がってる子とゆう感じになった。
たまにガーゼを忘れた体育がバレーボールの焼いて二日後とかのヒがあったりすると腕を0−プンにせざるをえないので恥を忍んでアンダーをしたりもしたし。

根性焼き通いを完全にしなくてよくなったのは中1ころであったが、その頃には新たな悩みも浮上していた。

それは、乾燥はだだ。
保湿をしないとすぐわれた砂漠の大地のようになり、夏場でも足は老人のようにいつも粉を吹いていた。

一般的に、アトピー性皮膚炎のひとはほとんどが乾燥肌であるらしく、ヒフが乾燥して水分を奪われ免疫機能が低下するとはだあれが生じるのだそうで、それを未然に防ぐためにも乾燥肌の人の保湿とゆうものは死活問題で、風呂あがってすぐクリームとゆうのは私にとって呼吸をするのと同じくらい必要不可決な事であった。

他人とゆうもののなかに自分をおく事で自他との距離を把握し、あまりにも差があったら埋めてみたり、またその差から自分の個性を見つけ出す事が出来たりするなど、他人と関わるとことは大事であるということはわかるのだが、それは大人になってからなせる技であって、思春期真っ盛りの多感なあの時期の私には他人のなかに自分を置いてみるという行為は  苦痛  以外のなにものでもなかった。

他者といることではじめて自明となる自分との隔たり。それがプラスになることならばいい。

自分が優位にたてることならば。

そうではなくただたんに自分のDNAが友達よりもあきらかに劣っているという事実。
それにただ感服するしかない自分。
それをうけいれるということがあのころのわたしにはとてもつらかった。
修学旅行でお風呂に入り、はじめてみる友達の裸、ヒフ。
そこにはわたしが渇望していた水分保持能力がきわめて正常なヒふがあった。、少しひっかいただけではビクともしない健康なヒフ。
健康なヒフ。そのあたりまえとゆう奇麗さに私はうちのめされてしまった。

こんなにまでも違うものかと。いくらがんばってもわたしはあのこのハダニはなれない。

ただ、昔の私にはこんな事が日常的な悩みだったのですが今にしてみると鼻くそみたいな物になってしまいました(笑)年をとるってすごい!

電車の隣で離していた高校生の悩み話を盗み聞いていて、思い出したのでばーーっと書いてみました。

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