福岡伸一さん記事に震える

展示の時に知り合った方に教えていただいたkotobaのカズオイシグロさん特集での福岡伸一さんの記事。
いま記憶や身体をテーマにして制作しているので考えていた事と非常に近くどこを読んでもクリティカルヒットで楽しすぎました。

まず記憶とは「絶えず変化と生成と繰り返す不可解な営み」であり生命はそれと呼応するかのように「絶えず流転していくもの」
の部分。

身体も記憶も物質であるので日々流動して変化し更新している。記憶も物質であるとゆう部分は忘れがちと思うがそう意識するとめちゃくちゃ面白い!
(脳細胞は以前は新たに生まれ変わることはないと以前は考えられてたけど海馬では神経細胞があたらに生まれて入れ替わっていることがわかったらしい。)

生成変化と流動とゆうワードは若い頃ジル・ドゥルーズをよく読んでいた頃から気になっていた。 日々更新を繰り返す流動的な身体。

集団の記憶の共有について、記憶は個人的なものであると同時に「同じ記憶を持つ集団や社会をつなぎ止めるもの」さらに「異なる記憶を持つ集団とのつながりを断つ」ものとしている。

わたしたちが他ならぬ他者と同じ記憶を持つとき、その共有された記憶は個々人から切り離れた物として存在する。お互いが互いにアクセスできる場所のような緩衝地帯が存在すると福岡さんは話している。

さらにその集団の記憶の共有を福岡さんは「分有」とゆう言葉の方が意味合いに近いのではと言っていて、そのイメージとして体の細胞間のやりとりに当てはめて説明してくれてるのがさらに面白い。細胞はそれぞれ細胞膜とゆう皮膜で覆われてはいますが被膜は他の細胞との接合点でもあり、そこでコミュニケーションが行われていて相補的に自分の役割が決められてゆくとゆうのだ。
まさしく流動的に!

とりあえず覚書をタラタラ書きました。
めちゃ楽しいー

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